最近ある人とよく話す話題が、「教育」と「自立」について。
「教えるって、ホント無力だよねー」
とはその人の言葉。
それは、確かに僕自身も感じているところです。
いくら教えても教えても、学力が伸びなかったり。
本質的な成長につながらなかったり。
こちらが頑張れば頑張るほど、
生徒の結果に一喜一憂してしまう自分もいます。
頑張れば頑張るほど、生徒に期待をしてしまったり。
期待をかけること自体は悪いことではないと思っていますが、
その期待通りにならなかったときに「がっかり」するのは
生徒にも失礼というか、自分で勝手に期待しただけやん、
という話になります。
相手の成長は望むが、必ずしもこちらの思い通りになるわけではない、
ということはちゃんとわかってはいるものの、
そうならないときに自分の中にいろんな感情が湧いてきます。
これはあくまで自分の感情なので、それは自分で処理をする。
もっと大事なのは、教育をすることによって相手が
自ら成長する機会を奪っているのではないか、という視点。
「教育」の定義にもよりますが、教育が「教えること」だとするならば、
「教えることで生徒が自ら考え、気づいていく機会を奪う」
と考えるのが妥当ではないでしょうか。
それでも、この受験界においてジレンマなのが、
「気づくのを待っていられない」
ということです。待っていたいのだけれども、待っていると間に合わないのです。
受験は迫ってきてしまうのです。センター試験はやってきてしまうのです。
とりあえず、点数が上がるテクニックを教える。
英語なら読み方を教える。出そうなポイントを教える。
それはその場ではOK。
でも、長期的に見て、それがベストかと言ったらベストではない。
ちょうど今、センター試験前。
この葛藤に悩みながら、今日も全力授業してきます。