安心感や不安の研究をしていると必ず出くわすのが、
「失敗」に対する恐怖があり安心できない、というもの。
「失敗恐怖」なんて呼ばれたりもします。
失敗恐怖は「行動できない理由」の一つとして悪名高くもあります。
そりゃあ人間誰でも「失敗」したくないですよね。
失敗したくないという気持ち、痛いほどわかります。
ここで、根本的な問い。
なぜ、失敗したくないのでしょうか?
それは、「失敗」と呼ばれる結果が自分にとってマイナスであり、
受け入れ難いものであるからです。
例えば僕の仕事上とても身近な「大学受験における失敗」は、
第一志望に不合格となることです。
確かに、ずっと目指して勉強してきた大学を受験して
その結果「不合格」という結果になれば、
そりゃ受け入れたくない現実になります。
でも、ここで一つ視点を変えてほしいと思います。
「不合格=失敗」という認識は改めていきましょう。
失敗とは成功の対義語で、「成功か失敗か」の二択しかありません。
第一志望に合格することだけが成功ならば、
その他全てが「失敗」になってしまいます。
これは「結果」にフォーカスしてしまうから起こることです。
結果ではなく「過程・プロセス」に目を向けてみるといいです。
結果は、どうしても他人が絡んできて自分ではどうしようもない、
つまり自分ではコントロールできないところが出てきます。
大学入試ではいくら自分ががんばっても、
他の受験生もがんばるし、採点するのも他人で
自分にはコントロールできません。
でも、過程つまり努力するプロセスにおいては
自分でコントロールできます。
安心感の重要な要素として
「自分でコントロールできている感覚」
があります。
自分の行動は自分でコントロールできます。
過程や努力は自分でコントロールできます。
この過程・プロセスについて考えれば、
成功や失敗の定義も自分で決めることができます。
「1日3分の勉強を3日間連続でできたら成功」
と決めれば、これは達成しやすくなります。
(成功しやすい。失敗しにくい)
仮に2日連続で終わって1日空いたとしても、
(4日かかったとしても)それを成功と考えてもいいんです。
大学入試の話に戻ります。
合格=成功、不合格=失敗、
と考えるのが一般的ですが、
これではあまりにも辛すぎます。
過程、ここでは「成長」にフォーカスしてみます。
仮に東大を目指したとして、一生懸命勉強して、不合格だったとします。
それは、本当に「失敗」なのでしょうか。
一生懸命勉強して成長したのに、「失敗」とみなされるのでしょうか。
これはちがうと思います。
成長しているのだから、「成功」とみなすべきでしょう。
東大を目指したはいいけど不合格(=失敗)になるかもしれず、
そう思うと最初から目指さないほうがそもそも失敗にはなりませんが、
それで成長できるのでしょうか。
目指した結果不合格だったけれども、
たくさん勉強していろんなことがわかるようになり、
自分として大きく成長できた、
という状況は望ましいものと言えるのではないでしょうか。
こうなれば、もう「失敗」はありません。
失敗を恐れて行動しない(東大を目指さない)よりも
失敗そのものがない、成長することのみが存在するならば、
もっとチャレンジする人が増えると思います。
幸福感を感じる人が増えると思います。