よく日本人は英語が話せないと言われます。
英語教育に携わっている身としては
こう言われると心苦しいものがあります。
僕が考える英語が話せない原因は2つ。
一つは、圧倒的な量の不足。
これは「話す」量の不足です。
大学受験のために中学高校を過ごす人が多い
状況の中、スピーキングが入試にないために
普段の授業や予備校でスピーキングは
ほとんど行われません。
四技能の強化を国が方針として打ち出してからは
スピーキングもやるんだ、という流れが
出てきたのは、この点では良いことだと思います。
もう一つは、英語「を」話す、もしくは
英語「を」書くことに注力しすぎて、
実際に「何を」話すまたは書くのか、に
焦点があたってこなかった背景があると思います。
誤解を恐れずに言えば、
英語は一つの言語であり表現手段です。
自分の考えを他人に伝えるためのものです。
その際に、「何を」伝えるのか、ということを
我々先生と呼ばれる立場の人がほとんど
指導してこなかったことに一因があるのでは
ないかと思います。
僕が指導していて顕著に出るのは、
昨今の大学入試のメインストリームになっている
「自由英作文」です。
形式や語数は大学によって様々ですが、
自分の意見を書かせる問題が少なくありません。
もちろん、英語の試験なのでそれなりに
筋の通った内容をできるだけミスの少ない英語で
書けば合格レベルの答案は割と簡単に書けます。
ところが、多くの生徒が壁にぶつかります。
それは、
「書き方もわかった。文法も単語もそれなり。
でも、中身に何を書いていいかわからない」
という壁です。
英語力はあるのに中身がない、もしくは思いつかない、
という生徒は少なくないです。
そして正直、自由英作文の入試問題なら
大抵はいろいろな問題を手当たり次第やって、
こうきたらこれを書く、と決めれば
ある一定程度には内容も書けて点数も取れます。
ただ、これでは自分の頭を使うことにはならない。
記憶力は鍛えられるけど。
自分が本当に何を考えて何を感じていて、
どう表現して発信したらいいのか。
それを鍛えていかなきゃいけない。
人間は思っている以上に自分の思っていることを
伝えられないものです。
特に日本人は阿吽の呼吸で通じると
思っているところがあるし、
実際に通じてしまうところがあるからなおさら。
学生のころから、自分の頭で考えて
それを言葉でできるだけ正確に伝える
トレーニングは積んでおいたほうが
絶対にいい。
英語「を」学ぶ段階はもちろん必要。
英語「を」話す段階も同様。
でも最終的には英語「で」自分の考えを話せる
状態になっていてほしい。